私は30代で病気が見つかり、「自分の死」をはっきりと意識しました。
看護師という仕事柄、これまで目の前で看取った方は300人ほど。
20代になって早々に手厚い生命保険に入っていたこともあり、
保険料が振り込まれたときに「わ、思ったより入ってくる!」と
喜びの反面、初めて「これって怖い事だったんだ」と実感しました。
幸い、病気はかなり早期発見で、タイミング良く手術へ。
むしろ、術前からはじめていた内服治療の方が
よっぽどきつかったので、すでに音をあげそうでした。
一度目の手術は、子宮の円錐切除術だったので、
入院も2泊3日だけ。
侵襲が少ないから、きつめの傷を負ったくらいで済みました。
けれど、その後も続けていた内服治療が
あまりに辛すぎて…。毎日さまざまな症状に悩まされました。
たくさん考えましたが、とにかくこの症状から解放されたい!
という思いが日々次第に大きくなり、かかりつけの先生に相談。
結局は、子宮も卵巣も摘出する決断をしました。
これはもう一度目の手術には比べ物にならない程のつらさでした。
子供は一生もてない。
当時は結婚もしていなかったので、
結婚も妊娠もしていないまま、
さらに子宮も卵巣も私から離れるのか…と。
色々な生き方はありますし、
そこに固執しているつもりは全くなかったのですが、
いざその立場になってみると、とても複雑な思いでした。
そして、
もはや私は何者なんだろうかと落ち込んだりもしました。
2度目の手術をする前の段階では、妊娠が可能な状態だったので
当時の先生から「もし子供を持ちたいのであれば、
パートナーに、私からも説明しますよ。考えてみて。」
そう仰っていただいた事もあり、
その時の気持ちや現実的な金銭面、仕事のこと。
大前提その時のパートナーとの関係も考えました。
これまで仕事中心の生活しかしてこなかったので、
私は一人の女性として生まれてきて、
いったい何ができるんだろうという思いが大きくなっていったように思います。
術後、自分の体ではないようなくらいしんどかったのに、
なぜか仕事をしない自分ではいけないと思い込んでいて、
仕事に無理に復帰しました。
そんな時は良い展開になるはずもなく…。
体や心はぼろぼろで、
急に叫びたくなったり、死にたくなったり…。
毎日よく生きてたなぁと今でも思います。
職場にいる同じ看護師なら、
「病気のことを理解してくれるかもしれない」という、
なんとも淡い期待は、淡いまま見事に溶けて無くなりました。
仕事に復帰するという誤った判断で、
他人に迷惑もかけたし、自分自身の首をも絞めてしまったと思います。

それから無理をした毎日を続けて、
普通の精神状態でもないので、
一生ネガティブな事を考えて、一生ループ。
むかついた相手の因果応報のタロット動画を、
毎晩寝落ちするまで観たりして。
良くない感情をたくさん抱えすぎていました。
けれど、とことん落ちた日々を過ごすことで、
ふと自分の身の丈を知ったようにも思いました。
もう無理ができなくなったし、今までの自分とは違うんだと。
どこか若い頃の仕事に燃えていた自分にすがるような、
いつまでも若い気持ちで居たいような。
そんなことにしがみついていたんですよね。
現実は、年を重ねて変わっていく体にあらがえない。
身を任せないと、変にパワーを使って消耗だけしていくような。
気が付けば、体重も+20㎏。
気に入っていた服も入らない。
横になっても出ているお腹。
髪のうねりを直す気力もないけど、
うねる髪は束ねればいいし、うねった髪も悪くない。
化粧をしないで外出なんて、若い頃は考えられないと思っていたけど
すっぴんで買いものも、思ってたより悪くない。
戦い切った武士だと思えば、
うねった髪も、くたびれた体も愛せるかもって
少し思えるようになったんです。
無理もできないし、かっこもつけられない。
無理もしなくていいし、かっこもつけなくてもいい。
いつの間にか恰好つけたり、強がっていた自分を、
素に戻していく作業が、この更年期には味わえるのかもしれません。



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