きれいごとなやりがい
「ありがとうと直接言ってもらえる。それが看護師のやりがいになる。」
なんて言葉、なんかちょっと綺麗ごと過ぎる。
と、思っていましたし、今も少しそう思っています。
言葉だけじゃ実際やっていけないことも多いですよね。
人間は、そんなに綺麗なところだけを持っているわけではなくて、
結構残酷なことだって考えます。
言葉だけ妙に浮いている感覚がありました。
どこか、しっくり来ません。
看護師の仕事を振り返って考えてみると、
私は、必ずしも「ありがとう」という言葉が嬉しいわけじゃないのかもしれないと。
例えば、
ナースコールを押して、「リモコン取って」とか「布団かけて」とか、
自分で動ける人でも、当たり前のように頼んでくる。
こんな時の「ありがとう」は、全く嬉しくないです。
むしろ腹が立ってて、聞こえてないこともあります。

やっぱり嬉しかったありがとう
けれど、毎日苦しみや痛みに耐えている人のケアに入った時。
優しい笑顔と、しみじみ言ってくださった「ありがとう」は、本当に嬉しいです。
心の底からっていうのはこの感覚か、と思うくらい響きます。
じわーっと自分の半径5メートルくらいが温かくなるような感覚です。
そうやって、
私にとってのホンモノの「ありがとう」が聞けることも沢山ありました。

でも、その嬉しい「ありがとう」が聞けるのは、
最期のお別れの時や、それに近い時期に出てくることも多いです。
そして、それをきっとご本人も悟っている頃。
それをやりがいと言うのは、少し複雑な気持ちにもなります。
そして、「そもそも仕事のやりがいって何だろう」と思うようにもなりました。
やりがいって何だろう
自己満足や結果だけではないのだろうなぁと淡くは思っていました。
けれど具体的には、何をもって、私はやりがいと感じるのだろうと。
Googleで調べると、
- 成果や評価:目標を達成したり、評価されたりすることで得られる充足感。
- プロセスへの充実感:仕事の取り組みそのものに面白さや達成感を感じる状態。
- 自己成長:困難な課題を乗り越えたり、新しいスキルを習得したりすることで、成長を実感すること。
- 他者貢献:自分の仕事が誰かの役に立っている、感謝されていると感じられること。
と、いくつもの面でやりがいを感じるとでてきました。
なるほど、まさにここでいうと私は分かりやすく表に出ている「他者貢献」をやりがいと感じていたのだなと。
けれど、振り返ってみたら「成果や評価」「プロセスへの充実感」「自己成長」についても、ちゃんと感じていたことも分かりました。
そして、このすべてのことが絡み合って、やりがいを感じるのだなと。
「成果や評価」については、他者の評価や対価も関わってくるので、ここに重点をおくと苦しいかもしれない。
自己評価低めな日本人ですし。「プロセスへの充実感」については、少し俯瞰して自分の状況を捉えるような力が必要。
「自己成長」は、自己研鑽やある程度の時間が必要かもしれない。
「他者貢献」は、小さいものならもしかしたら一番多く、看護の仕事から得やすいかもしれない。
やりがいには大きさやタイミングがあって、それを自分がちゃんとキャッチできるかどうかが大切なのだと思います。
振り返ってみると、採血、吸引や口腔ケア、褥瘡処置などの様々な技術は取得でき、あんなに苦手だった人前で話すことにも慣れることができました。そして、訪問看護やその保険・レセプトの仕組みも分かるようになりました。
チームみんなで患者さんを看て達成感を得たり、カンファレンスでは、答えのない課題で一緒に悩んだり。一丸となる喜びも感じられました。
どの仕事でも共通して色々なやりがいを感じられると思いますが、辛くなった時にそれをちゃんと認識できる力や視点を持っておけば、何のために仕事をしているか、やりがいを感じながら働くことができるのだと思います。
疲れた時や、道に悩んだ時、その時の自分のやりがいについて振り返ってみたり、紙に書き出してみるのも良いかもしれないですね。


