忘れられない夜勤

看護師エッセイ

とある夜勤の出来事

もう20年以上前のことですが、
ある夜勤で出会った患者さんとの会話が、今でも私の心に残っています。


看護師として働き始めて、5年ほど経った頃。
急変対応や夜勤も一通りこなせるようになり、リーダーも務めるようになっていました。


少し自信もついて、「このままでいいのかな」「もっと他の科を経験すべきか」「いろんな人と出会って、いろんな仕事を見てみたい」「留学もしてみたいな」
——そんなふうに人生に迷っていた時期でした。

その頃に会ったひとりの患者さん

その頃に出会ったのが、40代後半の女性の患者さんでした。
肺がんの末期で、ギリギリまでご自宅で過ごされていたのですが、
状態悪化のため、緊急入院されてきました。

病院は、60代以降の患者さんが多く、40代という年齢はとても若く感じられました。
同時に、病気は他人事じゃないんだなとも感じたのを覚えています。


見た目はとてもスタイリッシュで、初めは少し厳しい方なのかなと思いましたが、話してみると笑顔がとても柔らかく、少女のような可愛らしさを持った人でした。


バリバリ仕事をされていた方で、いわゆる『かっこいいキャリアウーマン』。


ご主人も付き添っておられ、簡易ベッドを置いて同室で過ごされていましたが、夜が深くなるとなぜか姿が見えず、少し気になっていました。

小さな世界で生きるということ

その女性から、度々ナースコールがありました。


体の痛みや息苦しさ、色々な苦痛症状があり、身の置きどころがなくなっていました。
しかし、つらそうな時も、そばにいると「話していると気が紛れるから」と言って、私にいろんな話をしてくれました。


その時、私はつい自分の悩みを口にしてしまいました。
「もっと広い世界を見なきゃと思うんです」と。

するとその女性は、にこやかにこう言いました。

「そんなに人間は広い世界で生きなくてもいい。
それぞれ小さな世界で、精一杯生きればそれで充分。」


その言葉に、胸の奥が静かに温かくなったのを覚えています。


やがて、戻ってこないご主人のことを尋ねると、女性は少し笑ってこう言いました。

「あの人は優しい人なの。だから一緒にいるのが怖いんだと思う。
ごめんなさいね、そっとしておいてあげて。」


朝方、やっとご主人が病室に戻られました。
少しアルコールの匂いがしていて、現実を受け止めきれず外に出ていたのだと分かりました。


女性はそれをわかっていたのだと思います。

今も心に残る言葉

その後、その女性の状態は少しずつ悪化し、数日後に静かに息を引き取りました。


その瞬間、今まで感情をあまり見せなかったご主人が、涙を流しながら「ありがとうございました。本当にお世話になりました。」と仰ってくださいました。


私も、こらえていた涙が止まりませんでした。


その女性は、亡くなる直前までこちらを気遣ってくれる方でした。
勤務中、「元気?」「悩んでない?」と目で合図してくれたり。


なぜあの女性の言葉が、今でもこんなに心に残っているのか。
時々思い返すたびに、少しずつ違う意味で響いてくるんです。

「小さな世界で、精一杯生きれば充分。」

その言葉は、今も私の人生の分岐点で、必ず思い出す言葉です。