頼られることは孤独?
経験や役職を重ねた中年期に、
多くの人が「頼られる」「決断を求められる」ことで抱える孤独。
仕事をしていると、
「あの人なら大丈夫」「あの人ならやってくれるだろう」と思われる人がいます。
私も看護師として働く中で、
同僚や患者さんから相談やサポートを求められることが多くありました。
何かあれば声をかけられ、困っている人がいれば助けに行く。
そうしているうちに、自然と支える立場に置かれることも少なくありませんでした。
特に女性が多い職場では、「気を遣いすぎる」「頑張りすぎる」空気が自然に生まれやすく、助けてもらうことが難しくなることもあります。
そんな人は、いつも誰かを支えているからこそ、周囲から信頼されているように見えます。
けれどその裏で、
支える側ほど助けてもらえない孤独を抱えることがあると思います。
「あなたがいないと回らない」「頼りにしてる」と言われながら、
いざ自分がつらくなったとき、支えの手が差し伸べられない。
それが当たり前になっている職場もあると思います。
頑張った人が「頑張りすぎる人」「無理する人」になってしまう。
そんなとき、人は「信頼って何だろう」と
静かに問い始めるのかもしれません。
頼られるということは、嬉しいこと。
けれど、信頼されていることだと思って夢中になってしまうと、いつの間にか自分の優先順位は下がってしまう。

頼る・頼られる関係のバランス
人間関係には、いつも見えないバランスがあります。
時には支えて、時には支えてもらう。
お互いに状況によってそうあれたら良いですね。
けれど、支える側、支えられる側
――この関係が長く続いてしまうと、
いつのまにか、支える側は「助けてもらうこと」が難しくなってしまう。
そしてある日、支える側は限界を迎える。
その瞬間、これまでの関係が音を立てて崩れてしまうことがあります。
私の経験でも、支える立場の看護師として限界を迎えた瞬間、これまでの関係が一気に崩れてしまったことがありました。
でも、それは突然起こったわけではなく、
長い時間をかけて少しずつ傾いていた関係の結果なのかもしれません。
思わぬ言葉を掛けられたり、
急に冷たい態度をとられたり。
ただ「冷たさ」は、必ずしも悪意ではなく、その裏には「どう接していいかわからない」という戸惑いがあると思います。体調が悪い時もある。
相手が弱っていると、自分の弱さも映し出されるようで、それに耐えられずに距離をとってしまう。
だから、冷たさはいつも悪意から生まれるわけではなく、人の未熟さや不安の表れであることが多いです。
優しい人ほど、
攻撃を受けやすいという現実。
どんな職場にも、仕事の能力に関わらず、
誰かを攻撃したり無視したりする人がいますよね。
そういう人は往々にして、自分を守ることに必死で、他人の痛みを感じる余裕がないのです。
そして、優しくて誠実な人ほど、その矢を受けやすい。
なぜなら、
反撃せず、きっと理解してくれる、
お願いしたらやってくれる、と思われてしまうから。
でも、それは「舐められている」というより、“人を信じる力”があるからこそ起きることでもあるように思います。
人を信じられる人は、それだけ人の気持ちを見ようとする。
その優しさが、時に損な役回りを引き受けてしまうのです。
きっと「信じること」と「舐められないこと」は両立できます。
信じることは、弱さではありません。
ただ、信じる相手を選ぶ力。
――自分を守る境界線を持つことが必要です。
そして、「信じる」という漢字の通り、
「人が言う」と書くので、ちゃんと自分の思いや状況を相手に伝えられることも大切です。
「人を信じる」ことと「自分を犠牲にする」ことは、似ているようで違います。
前者は勇気で、後者は我慢。
大切なのは、
「信じながら、自分も大切にできる関係」を築いていくこと。
そのためには、「ここから先は無理」と線を引く勇気も、優しさの一部として持っていていいのだと思います。
悲しいけれど、人間関係は永遠ではありません。だからこそ、終わってしまう関係にも、きっと意味があると思います。
どんなに信じていた関係でも、
お互いの成長や環境の変化で、自然に終わることもあります。
でもそれは、「間違った関係だった」ということではなく、そのときお互いに必要な学びを与え合った関係だったということ。
関係が終わるとき、人は悲しみを通して、
自分の境界線と向き合う力を得ていくのかもしれません。
最近は、バウンダリーという言葉も耳にするようになりました。
それだけ、人間関係の難しさや時代に合ったコミュニケーションの変化を物語っているかもしれません。

まとめ:優しさは、強さに変わる
人を信じて傷ついた経験は、
次の関係を築くための『地図』や『智慧』になります。
信じることは悪いことではない。
でも、信じながら「自分の限界を知る」こと。それが、本当の意味での優しさだと思います。
できないことや、期待に応えられないことは、全く恥ずかしいことでも罪悪感を持つものでもないのです。

