「ミッドライフクライシス」という言葉を、
私はようやく自分事として、考えるようになりました。
中年期の危機。
育児と介護が重なる世代。
責任が増えて、心身が疲れやすくなる時期。
たしかにそうなのですが、それだけでは片づけられない。
それだけでは説明がつかないような気がしています。
心理学的には、ミッドライフクライシスは「中年期に起こりやすい一過性の精神的不安定さ」や「人生の再評価に伴う葛藤」と説明されることがあります。
うつ病のように明確な診断基準があるわけではなく、病名というよりも、発達段階における自然な反応として捉えられることが多い概念です。
仕事や家庭、社会的役割がある程度安定する一方で、
「これから先の時間は有限である」という現実が、急に具体性を帯びてくる。
その中で、これまでの選択や生き方を振り返らざるを得なくなる時期
――それが、ミッドライフクライシスと呼ばれている状態なのだと思います。
これまで、ミッドライフクライシスについて改まって考えたことはありませんでした。
昭和だ令和だと言われる以前の時代では、とっくにこの世を去っていた年頃です。
なので、そんなの悩むに決まっている時代でもありますよね。
豊かで情報に困らない世の中でも、生きていく上で、悩みのない時代はない。
ということで、今回はミッドライフクライシスについて少し深堀りしたいと思います。
われわれ中年期独特、そしてある意味先鋭的な悩みを考えてみましょう。
この世代は、
次の目標があるような、ないような世代。
大きな夢を語る年齢ではないのかもしれないし、
それでも、生きていくことをあきらめたくない世代でもあるように思います。
若い頃のように
「これを目指せばいい」と
迷いなく進める旗は、もう見えにくい。
一方で、
「もう十分やったから終わりにしよう」と
簡単に人生を手放せるほど、軽くもない。
責任だけが、静かに、確実に、大きくなっていく。
気が付けば、自由なようで堅苦しい。
かっこよく新しい時代の流れに乗れていたらいいかもしれないけど、大概はそれは表向きな関わりで、若い世代から見たらイタイ相手になっている可能性は高い。
そう思うと、どんどん人と関わることに消極的になってしまう。けれど、人と関わることで人生が豊かになり、仕事の楽しさややりがいを感じられることも経験上わかっている。
ミッドライフクライシスの苦しさは、
何かを失ったから生まれるのではなく、
ある程度、手に入れてしまったあとに訪れるものなのかもしれない。
若い頃に思い描いていた目標。
仕事、役割、専門性、信頼。
それらを積み重ね、
気づけば「目指していた場所」にすでに立つことができている。
それなのになぜか残る、
言葉にならない空虚感や焦燥感、孤独感、虚無感。
「ここまで来たけれど、
この先は、どう生きたいのだろう」
この問いに、
かつてのような勢いのある答えは、もう出せないのです。
妙に落ち着いてしまって、どこか”鋭くて危険なパワー”が出ないのです。
そこに、身体の変化が重なってくる。
無理がきかなくなる。
回復にも時間がかかる。
気力だけでは乗り越えられない日も増える。
看護の視点で見れば、
これは異常ではなく、自然な変化です。
けれど、加齢やホルモンバランスの変化は、
心の持ちようだけではどうにもならない部分を確かに含んでいます。
そして不本意に私たちは、
「気の持ちよう」「まだ頑張れるはず」と
自分にだけ厳しい評価をしてしまいます。
年を重ねた顔や体は、
もう余力なく絞られた結果に
見間違えてしまうことがあります。
けれどそれは、消耗ではなく、
生き延びて、選び取ってきた形だったのかもしれないと少しだけ思えるのです。
看護の現場では、
すぐに答えが出ない状態を「失敗」とは捉えない場面もあります。
症状が揃わない時期。
診断がつかないグレーな状態。
経過を見ながら、揺れを抱えたまま関わる時間。
そこには、
答えを出すより前に、存在を認めるケアがある。
この「答えを急がない姿勢」は、
決して特別なことではありません。
看護の視点で見ると、これは「治療対象」ではなく、
その人の”人生全体”を見直すプロセスの一部として、
丁寧に経過をみていく必要がある状態だと感じています。
ミッドライフクライシスも、
それとよく似ているかもしれません。
今すぐ方向性が決まらない。
目標が言葉にならなくてもいい。
ただ、しんどさが「ここにある」ことだけは、
なかったことにしなくていい。
辛いという正直な気持ちを、もう少しだけオープンにしてもいいのかもしれない。
この世代の特徴は、
「答えが出ないことがある」と
もう知ってしまっているところがあると思います。
努力すれば必ず報われるわけではないことも、
選択すればすべてが解決するわけではないことも、
私たちは体感として知っています。
だからこそ、
無理に結論を出そうとすると、
かえって心や身体のバランスを崩してしまうこともあります。
ミッドライフクライシスは、
治すべき問題ではなく、
人生の再評価期なのかもしれません。
今の私は、
はっきりとした次の目標を持っているわけではありません。
でも、人生を今すぐ終わらせたいわけでもないのです。
わからないままでも、
揺れながらでも、
今日を生きる。
時にはワガママ言って、周りがどう思おうが、それはそれ。放っておいてみる。
昔のいわゆる「オバタリアン」て、自然体の最強の形だったのかもしれません。
諦めずに、ちゃんと人と関わって、時にはお節介を焼く。今は、どこか時代のせいにして、なかなか真似できない生き方のようにも思います。かっこ悪いようで、かっこいいかもしれない。
看護では、
「経過をみる」という大切な時間があります。
ミッドライフクライシスもまた、
そんな時間の中にある状態なのかもしれません。
答えは出ない。むしろ無い。道はたくさんあるのに躊躇する。
それでも、生きていく。時間は過ぎていく。
それを、成熟のひとつのかたちとして
受け止められる世代でありたいと、今は思っています。



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