看取りのあとに自分を責めてしまうご家族へ――後悔を少し軽くするために、看護師が伝えたいこと

看護
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はじめに

大切な人を看取るとき、どんな選択をしても多くの人が
「もっとできたかもしれない」と自分を責めてしまいます。

でも実際には、ほとんどのご家族が
“十分に寄り添えていた” のです。

これまで、多くのご家族と最期を見送ってきた経験から、
後悔をできるだけ少なくするための“心の持ち方”をお伝えします。


ご家族が後悔しやすいポイント

  • そばにいられなかった
  • ついイライラしてしまった
  • 十分に話せなかった
  • もっと優しくできたかもしれない
  • 苦しませてしまったのではないか

多くのご家族が、同じような思いを抱えます。


「もっとできた」は“愛情がある証拠”

自分を責めてしまうのは、
それだけその人のことを大切に思っていたから抱く感情です。

後悔の裏には、必ず深い愛情が存在していると思います。
闘病生活があって、徐々に体調が変化する場合や急激な変化で亡くなる場合など。
色々な展開やスピード感がありますが、殆どの場合は最期を迎えるときに、
意識も低下し、コミュニケーションがとりづらくなります。

相手の反応が乏しくなり、急に残りわずかなのだと感じた瞬間、
一気に様々な感情が襲ってくることがあると思います。

できるケアを十分にやってきたし、寄り添ってきた。
けれどその瞬間、過去の思い出が走馬灯のように浮かび、
不安や悲しみが湧き出てくる。

愛情があるからこそ、健全な反応として出てくる感情です。

人は、大切な存在を失うと、
「原因」や「もしも」を探そうとする心の働きが強くなります。
それは、突然の喪失に心が追いつこうとする自然な反応(防衛反応)なのです。


ご本人が望んでいる“本当のケア”とは

最期の時期、ご本人が望む多くは
「安心」「静けさ」「そばにいてほしい」という、
とてもシンプルなものです。

少しずつ「終活」は定着してきて、「ACP」も少しずつ広まり、
必ずしも、ご家族だけで介護をすることが良いとは言われなくなった時代。

そのため、”やり残し”を確認しても
ほとんどの場合が、
「最期は静かに逝きたい」「家族に迷惑をかけたくない」と仰る方が多いのです。

高価なケアでも、完璧な看病でもなく、
存在そのものが一番の支えになるのです。

ACPとは:アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning)の略称で、もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、ご家族や医療・ケアチームなどと繰り返し話し合い、共有する取り組みのことです。(厚生労働省より)


寄り添いすぎて消耗しないために

  • つきっきりでなくてもいい
  • ご家族が看病や介護に疲れることは自然
  • ご家族もしっかり休んでいい
  • 気持ちが揺れるのは普通のこと
  • ご家族の健康も大事にする

自分の家族だからとか、大切な人だからとか、お世話になった人だからとか
なにかと“頑張らなきゃ”と思って無理をしすぎると、
心が持たなくなってしまいます。

看取る側が倒れてしまうことは、ご本人の望みではありません。

最期に、
「家族には無理をしてほしくない」と話してくださることが本当に多いです。

休むこと、離れることは、
冷たさではなく、相手を大切に思う選択でもあるのです。


感情の揺れは自然なこと

看取りは、悲しみだけではなく、

  • 怒り
  • 焦り
  • 不安
  • 混乱
  • 無気力

など、多くの感情が入り混じり、
亡くなる方と同じような感情を抱いたり、その揺らぎが起こるものです。

「早く楽にしてあげたい」と「失いたくない」が、
同時に心に浮かぶこともあります。
相反する感情が同時に存在するのです。

それは矛盾ではなく、
ひとつの心の中に自然に共存する感情です。

心が真剣に向き合い、共感・共鳴しているのです。
決して悪いことではありません。

看取られる側の立場で考えると、
それはとても嬉しく温かい感情だと思いませんか。


亡くなったあとの心のケア

  • 涙が止まらないのは自然なこと
  • 食欲が落ちることもある
  • 落ち込みに波が出ることもある
  • 思い出が急に蘇って苦しくなることもある

これらは 自然なグリーフ(喪失反応) です。
自分を責めなくていい、大切な心の反応です。

そして、
こういった喪失感は、実は数か月後に出てくることも多いのです。
看取った後は、色々な手続きに追われてしまい、
やっと落ち着いたと一息ついた頃に、感情の揺れを感じるのです。

あえて忙しくして感情に蓋をする、という方もいらっしゃいます。
けれど、見て見ぬふりはせず、故人の話や自分の感情を受け止めることは、
とても大切なグリーフケアなのです。

手を合わせる、写真に話しかける、
思い出を誰かと語る――
それらも立派なグリーフケアであり、供養の形です。


おわりに

看取りは「完璧」を求めるものではなく、
不完全なままで、精一杯でいい。

大切な人は、
あなたの声や手の温もり、存在をしっかり受け取っています。

看護の現場で、
「もっとできたかもしれない」と語るご家族ほど、
亡くなった方に深く愛されていたということを痛いほど感じてきました。

仏教でいう「供養」とは、
亡くなった方のために何かをすること以上に、
その人を想い、語り、心の中で手を合わせることだと考えられています。

後悔や涙も、すべてが供養の一部。
それほど大切に想っていた証なのです。

そして、手を合わせる「合掌」は、
此岸(しがん)と彼岸(ひがん)――この世と、あの世をつなぐ所作です。

右手が「今を生きる自分」、
左手が「迷いを超えた世界・亡くなった大切な人」。

そっと手を合わせることで、
自分の手のぬくもりが、亡くなった方のぬくもりのように感じられ、
安心したり、涙が自然にこぼれることがあります。

言葉がなくても、想いはちゃんとつながっている――
私はそう感じています。

たくさんの看取りの場に立ち会う中で、
「もっとできたかもしれない」という言葉ほど、
深い愛情を感じさせるものはありませんでした。

どうか、あなた自身にもやさしくいてください。


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