はじめに
最近、「バウンダリー(境界線)」という言葉を耳にすることが増えました。
心理学やセルフケアの分野だけでなく、小学校の授業でも扱われていると知り、
それだけ今の時代に必要とされている考え方なのだと感じています。
情報が多く、
人との距離が近いような遠いような社会。
コミュニケーションがSNS上だったり、○○ハラスメントがたくさんある社会。
より高度なコミュニケーション能力が必要とされているようにも思います。
私たちは知らないうちに、他者の感情や評価を引き受けすぎてしまうことや、相手の領域に踏み込みすぎてしまうことがあると思います。
実は私自身、スマホのメモにこんな言葉を書き留めていました。
- 自分と他者をうまく切り離す
- 他者とは、心地よい好きな距離で付き合う
あとから振り返ってみて、
「これはバウンダリー、そしてバウンダリングという考え方に近いのかもしれない」
と思うようになりました。
バウンダリーとバウンダリング
バウンダリー(境界線)とは、
「ここからは私、ここからは他者」という心の境界線のことです。
心理学でもこの考え方はよく使われています。自分と他者の感情や責任、考え方を区別し、心のスペースを保つための見えない線のことです。
詳しい考え方や日常の実例については、専門家による解説ページでも丁寧に説明されています。
<なぎさ心理相談室>
<森林公園メンタルクリニック>
感情、責任、価値観、評価。
それらをすべて混ぜてしまわずに、
どこまでが自分の領域なのかを意識するための視点です。
一方で、バウンダリングというのは、
その境界線を日々の中で整え直す行為なのでは、と感じています。
一度決めたら終わり、ではなく、
揺れたり、越えてしまったりしながら、
もう一度、戻ってくるような作業だと思います。
すぐ答えを出したいという焦り
私は余裕がなくなると、
物事を保留にするのがあまり得意ではありません。
相手の反応が気になったり、
自分の言動を後から何度も思い返したりして、気になることは、とにかく早く白黒つけたくなってしまう。

「嫌われたくない」
「変に思われたくない」
「早く解決したい」
そんな自己防衛の気持ちや
もしかしたら少しわがままな欲求が、
その焦燥感の奥にあるのだと思います。
自意識過剰なのかもしれない、と思うこともあります。
周りの目が気になることと、自意識の強さは、きっとどこかで深くつながっていると思います。
だからこそ、そのことを認めるのは、
少し引っかかりがあって、簡単なことではありません。
バウンダリングは「切る」ことではなく「戻す」こと
バウンダリングとは、
他人を突き放すことでも、
自分を守るために、殻に閉じこもることでもないと思っています。
むしろ、
引き受けすぎてしまったものを、元の場所に戻すこと。
- これは、私が今すぐ答えを出す必要があることだろうか
- これは、相手の課題かもしれない
- 今は判断しなくてもいいのではないか
すぐに結論を出さなくてもいいし、
すぐにわかり合えなくてもいい、
と、ちゃんと立ち止まれること。
そう自分に許可を出すことも、バウンダリングの1つだと思います。
「受け取るかどうか」を選んでいい
誰かの言葉や態度に違和感を覚えたとき、
そのまま飲み込まない選択をする。
「今は保留にしておこう」
「少し様子をみてみよう」
「これは、全部を背負わなくてもいいかもしれない」と。
そう思うだけで、
自分と他者のあいだに、ほんの少し余白が生まれます。
その余白があることで、
自分の気持ちに戻ってくることができるように思います。
他者との間にコントラストができて、少しクリアになるような感覚です。

揺れながら、選び直す
バウンダリングは、技術というより
何度も選び直していく姿勢や、心地よいという感覚を大切にすることなのだと思います。
焦ってしまう日も、
周りの目が気になる日もある。
それでも、
「これは私のもの?」
「それとも、相手のもの?」
そう自分自身に問いかけられたとき、
もう、境界線を意識し始められています。
おわりに
自分と他者を切り離すことは、
冷たくなることではありません。
自分を大切にしながら、
人と関わり続けるための距離を探すこと。
バウンダリー=境界線(状態・概念)
バウンダリング=境界線を整えること(プロセス)
そして、
「自分を大切にできれば、他者も大切にできる」とは、このバウンダリングを相互に行うことで、成り立っていくのだと思います。
自分を大切にする方法を考えたとき、
心地のよい状態を作り、
力を抜いて過ごせることだと思います。
そして、身の回りの人がそうあって欲しいと、同時に思いますよね。
お互いに気持ちよく過ごせるために、これからも「バウンダリング」という言葉を、
大事にしていきたいと思っています。



コメント