忙しさは、やさしさを奪う――看護師の仕事と家庭の距離感

看護
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はじめに

最近、自分の気持ちが以前よりも落ち着いていると感じます。
それに伴って、身の回りの人と穏やかに過ごせる時間が増えたように思います。

少し前までの私は、
いつも忙しく、眠れなくて、どこか苛立っていました。
働いているときは、それが「仕方のないこと」のようにも思っていました。

看護師の仕事は、分単位で動くことが多く、
常に時間と判断に追われています。
緊張が切れないまま一日を終え、
家に帰っても、心が仕事から戻ってこない。
脳が興奮状態で、夜勤明けなのに眠れない。

そんな状態で、
生活リズムの違う家族の物音が気になったり、
静かにしようとしてくれないことに、必要以上にイライラしてしまったり。

今振り返ると、
相手の気持ちを考える余裕が、ほとんどなかったのだと思います。

『仕事なら頑張れる』というのは、実はキケンなのかもしれない。
そう思うようになりました。


仕事では頑張れるのに、家庭では余裕がなくなる理由

仕事では、不思議と頑張れました。
多少無理をしても、「仕事だから」と踏ん張ることができた。

1日の大半の時間を仕事に費やし、
評価や役割があったり、
報酬があったり、
家庭に比べたら、目に見える世界だったからかもしれません。

一方で、家庭には明確な正解がない。
「これだけやれば十分」という基準もありません。

だからこそ、
仕事で使い切ったエネルギーのまま家庭に戻ると、
思いやりよりも、苛立ちが先に出てしまう。

相手に甘えて、
きつい言い方をしてしまうこともありました。

いわゆる「内弁慶」だったのだと思います。


看護師は離婚率が高いと言われる理由

看護師は、
離婚率が高いとか、
ダメな男性と付き合いやすいとか、
騙されやすいとか。

少し乱暴な言い方だな、と思いながらも、
「分かる気がする」と頷いてしまう部分もあります。

人格の問題ではなく、
仕事の中で身につけてきた姿勢が、
そのまま私生活に持ち込まれてしまうからなのかもしれません。

  • 感情を後回しにすること
  • 相手を優先すること
  • 自分の違和感を飲み込むこと

それらは仕事では必要な力ですが、
家庭では、知らないうちに歪みを生んでしまうこともあります。

医療的な目線で、相手を判断してしまうこともあります。
科学的にどうなのか、とか
これは感染面でどうだ、とか。
計画的に時間を使うこと、効率ばかり考えたり。

けれど、
仕事の延長線上に家庭を考えてしまうと、
家族や生き方そのものに違和感を覚えてしまいます。

人には感情があり、正論だけで生きていくことは苦しいですよね。


バランスが崩れると、全部がうまくいかなくなる

仕事がうまくいっていないと、
プライベートもうまくいかなくなる。

反対に、
家庭が落ち着いていると、
仕事にも余裕が生まれる。

どちらか一方だけを頑張り続けることは、
長い目で見ると、とても難しいことなのだと思います。

私自身、
仕事も遊びも、全力でやってきたつもりでした。
決して仕事一辺倒だったわけではありません。

それでも、
自分で望んで築いたはずの家族に対して、
十分な思いやりを持てていなかったのかもしれない。

そう感じるようになりました。

もし今、
家では些細なことでイライラしてしまう自分に、
どこか自己嫌悪を感じている人がいたら。

バランスが崩れてしまうほど、
頑張っている自分をまず褒めてみてください。


無理があると、大切なものから壊れていく

今思うのは、
やさしさは、気持ちだけで保てるものではない、ということです。

自分に無理があると、
どんなに大切な相手にも、
やさしくあり続けることは難しいです。

余裕がなくなると、
相手の存在が「負担」に感じてしまうことさえあります。

それは、愛情が足りないからではなく、
余白が足りなかっただけなのかもしれません。

そもそも自分に優しくできていないと、
やっぱり他者にも優しくできないですよね。

身近な人は、思ったよりも
変化に気づいてくれているかもしれないし、
一方で、言葉にしないと分かり合えないこともあります。

そして、大切な人へ、
自分の嫌な感情を伝染させてしまっているかもしれない。

そう思うと「仕事だと頑張れる」を加速しすぎてしまうと、家庭とのバランスが取れなくなってしまう。

「仕事も家庭も、頑張れる」が理想ですが、
仕事も家庭も、力まず頑張れる』が私の理想形です。


おわりに

最近、
自分と他者とのあいだに「余白をつくる」という考え方に触れる中で、
仕事と家庭のあいだにも、
同じような距離感が必要だったのだと感じています。

仕事を大切にすることと、
家庭を大切にすることは、
本来、対立するものではないはずです。

ただ、
そのあいだに立ち止まる余白がないと、
どちらも苦しくなってしまう。

相手の気持ちや立場を考えられる余白。
これは常にもっていたいです。

今はまだ、
うまくバランスが取れている、と言い切れるわけではありません。

それでも、
無理をしている自分に気づけるようになったこと、
立ち止まろうとする視点を持てたことは、
小さな変化だけれど、大切な変化だとも思っています。

やさしさを取り戻すために、
何かを足す必要はなくて、
立ち止まる余白があればいいのかもしれません。

あれやらなきゃ、これやらなきゃという足し算ではなく、
余白をつくることは、引き算をするイメージです。

忙しさが、やさしさを奪ってしまわないように。
これからも、
仕事と生き方の距離感を、揺れながらも探していきたいと思っています。


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