看護師の給与に感じてきた違和感――エッセンシャルワーカーの現実

看護師エッセイ
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はじめに

以前の記事で、海外の看護師の働き方や平均給与について少し触れました。
その際、日本の看護師の平均年収についても紹介したのですが、
実は心の奥に違和感が残っていました。

それは、「平均」という数字と、現場で働いてきた実感とのズレです。

私自身、これまでいくつかの現場で働いてきましたが、
平均額より高い給与をもらえていたのは、
急性期の総合病院で、夜勤を多くしていた時期だけでした。

その後の職場では、
年収はせいぜい400万円くらい。
手取りで30万円を超えるのは、いいほうです。

統計上の「平均年収」は、
管理職や都市部の大病院など、一部の高収入層が引き上げている数字だったり、
さまざまな手当てなどをすべて加味した額。
つまり、その事業所の最大値が統計に使われています。

そのため、
多くの看護師が感じている実態とは、必ずしも一致しないのだと思います。

額面と手取りが違う、でもその分、
社会的信頼や保障があることは、ありがたいなとは思います。

けれど、看護師に限らず、他の理由を考えると
平均年収額の数字に、ズレを感じるのはたくさんの要因が存在します。
そして、同じ仕事をしている人の中に、
その平均額を押し上げている人たちが、確かに存在するという現実も感じます。


エッセンシャルワーカーの報酬は上がりにくい

看護師は、
「エッセンシャルワーカー」と呼ばれ、
社会にとって欠かせない仕事とされています。

エッセンシャルワーカーとは、医療・介護・保育・物流・公共インフラなど、
社会が日常生活を維持するために不可欠な分野で働く人たちのことを指します。

コロナ禍を通じて、その重要性が広く認識されるようになりましたが、
一方で、業務の重さに対して十分な報酬や労働環境が整っていない現実も浮き彫りになりました。

なぜ、これほど重要な仕事であるにもかかわらず、エッセンシャルワーカーの給与は上がりにくいのでしょうか。

その背景には、いくつかの構造的な理由があります。

  • 診療報酬や介護報酬など、公的に価格が決められている
  • 自由に値上げすることができない
  • 人手不足でも、人件費を簡単に上げられない
  • 「使命感」や「やりがい」に頼る構造が長く続いてきた

一般企業であれば、
原材料費や人件費が上がれば、
サービス価格に転嫁することができます。

しかし、医療・介護・保育の現場では、
価格が制度によって定められているため、
現場の努力だけでは、収入を増やしにくい仕組みになっています。

その結果、
負担や責任は増えていく一方で、
報酬や労働環境の改善は、どうしても後回しになりがちなのです。

本来、社会を支える仕事ほど、
最も安定した報酬と守られた労働環境が与えられて欲しいけれど、
現実はその逆になっているようにも感じます。


そして、
現実の看護師の給与水準は決して高くはありません。

  • 命と向き合う責任
  • 常に求められる判断力
  • 体力的にも精神的にも消耗する業務
  • 夜勤、オンコール、急変対応

これだけの負荷があっても、
報酬は決して十分とは感じにくいのが現状です。

「国家資格だし、どこでも働けるでしょう」

そんな言葉をかけられることもあります。
確かに、就職先の選択肢は多いかもしれません。

けれど、その裏には、

  • 体力の限界
  • 精神的な消耗
  • 人の命を預かる重圧

といった、数字では表せない負担が常にあります。

同じ条件、同じ給与で、
どれだけの人が長く働き続けられるのでしょうか。


物価高と将来不安の中で、お金を考える

物価は上がり続け、
生活費、医療費、老後資金、住居費。
考えなければならないお金の問題は、年々増えています。

それでも医療や看護の世界では、

「やりがいがあるから」
「人の役に立つ仕事だから」

そんな奉仕的な要素が多いことから、
お金の話をしづらくする空気を作っていたようにも思います。

けれど、
お金は安心して生きるための土台です。

生活が不安定なまま、
心から余裕をもって人に寄り添い続けることは、簡単ではありません。

お金のことを考えるのは、
決して浅ましいことでも、冷たいことでもなく、
生き方を真剣に考えているということです。


子ども、家、恋愛──すべてに「コスパ」「タイパ」が求められる時代

子どもを持つこと。
家を買うこと。
かつては「人生の自然な選択肢」だったはずのものが、

今ではまず、
「それって現実的?」
「経済的に可能?」

と考えられるようになりました。

学生や若い社会人の間では、

  • 恋愛はコスパが悪い
  • 付き合うのはタイパが悪い

と感じ、
人付き合いそのものを避ける傾向もあるそうです。

本来、恋愛や人とのつながりは、

  • 非効率
  • 無駄
  • 予定外
  • 感情の揺れ

そんな「非合理」の中に、
人生の豊かさがあるように思います。

それでも今は、
まず合理性と効率が求められる傾向がある。

それだけ、
社会全体の変化がどんどん進んでいるようにも感じます。


先進国ならではの矛盾

これは、先進国ならではの社会構造だとも言われています。

経済が成熟し、
物も情報もあふれる一方で、

  • 将来への希望
  • 社会的な支え合い
  • 長期的な安心

は、むしろ薄れてきている。

便利で豊かなはずなのに、
心はどこか宙に浮いているような。

この豊かさと不安の同居が、
現代社会の大きな矛盾なのかもしれません。


やりがい・お金・休日、そのバランスは欲張りすぎる?

「やりがいもあって、給与もそこそこ、休みもしっかり取れる」

そんな働き方を望むことは、
欲張りなのでしょうか。

個人的には、
決して贅沢な願いではないのかなと思っています。
というよりも、そうであって欲しいですよね。

けれど現実的には、

  • やりがいを取れば → 忙しさと責任が増える
  • 給与を取れば → 夜勤や激務が増える
  • 休日を取れば → 収入は控えめになる

というように、
どこかを選べば、どこかを諦めざるを得ない構造があるように思います。
給与はよくても、ブラックだったり、人間関係が最悪だったり。

その中で、真面目に働く多くの人が、

「頑張らないと報われない」
「努力しないと稼げない」

そんな価値観や呪縛のようなものから、
いつの間にか自分を追い込み続けているのかもしれません。


淡々と働く、という難しさ

「淡々と仕事をすればいい」
「仕事なんだから適当にやればいい」
「がんばらなくていい」

そう言われることもあります。
けれど、看護の仕事は、対人の仕事で、
命に直結する責任や緊張、感情労働でもあります。

単純作業のように、
感情を切り離して働くことは、簡単ではありません。

むしろ、淡々とできてしまうほど心を切り離せるなら、
燃え尽きることは起きにくいのかもしれません。

それができないからこそ、
多くの看護師が悩み、揺れ、立ち止まっているのだと思います。

看護師の平均寿命が短い、という明確な統計はありません。
ただ、夜勤や交代制勤務、強い責任感、感情労働など、
心身の消耗が非常に大きい仕事であることは確かです。

「寿命が短い」と言われてきたのは、
こうした“守られていなかった時代”の記憶が、
現場の身体感覚として残っているからなのかもしれません。

数字には残らない。

でも、

  • 流産した人
  • 子どもを持てなかった人
  • 体や心を壊した人
  • 命のリスクを抱え続けた人

その存在は、
確かに現場に刻まれていた。

「寿命が短い」と言われる背景には、
体と心を削るような働き方が、
長く続けにくい現実があるのかもしれません。


現場で見てきた「安全管理がなかった時代」

今でこそ、放射線や抗がん剤の取り扱いは、
厳しく管理されるようになりました。

けれど、私が働き始めた頃は、
そうした安全対策が十分とは言えませんでした。

  • レントゲン補助の頻回な介助
  • 防護具なしでの抗がん剤調剤
  • 抗がん剤治療中の畜尿と回収
  • 結核患者などの感染症のケア
  • 放射線・薬剤曝露の認識や対応の甘さ

これらは、当時の現場では日常でした。
危険なことだと分かっていながらも、
具体的対策もなく、流れていた「当たり前」となっていました。

そして実際に、

  • 流産
  • 死産
  • 結核罹患
  • 体調不良
  • 心身への蓄積ダメージ

を経験した人たちが、たくさんいました。

私は、長い間独身寮にも入っていたり、子供もいないこともあり、
そういったリスクのある仕事のフォローに回ることも多かった立場でした。

それが当たり前だった時代。
けれど、心のどこかに残った寂しさや悲しさは、
今も静かに胸の奥にあります。

今は防護管理や安全対策が徹底され、
医療現場は大きく変わりました。
その土台には、
これまでの厳しい時代を生きた先輩たちの積み重ねがあります。


永遠の悩みかもしれないけれど

この悩みは、看護師だけのものではありません。

今の時代を生きる多くの人が、

  • 働き方
  • 収入
  • 心身の健康
  • 生き方

そのすべての間で、揺れながら模索していると思います。
すぐに答えが見つかるものでもないかもしれません。

もしかしたら、
こうして迷い、立ち止まり、考え続けているからこそ、
見えてくる世界があるようにも思います。

すでに自分の道を迷わず進めている人には、
見えない景色かもしれない。

けれど、立ち止まっているからこそ気づける違和感や、
掬い取れる感情も、確かにあるように思います。

私たちは、意識しないうちに、
経済や社会構造、文化、流行、周囲の価値観などに
ものすごく影響を受けていると思います。

「自分の選択」だと思っていることも、
実は時代の空気に背中を押されている部分も大きいと感じています。

そんな中で、立ち止まって
自分に合う生き方を考えることは、とても自然なこと。
自分の人生を大切にしようとする行為なのだと思います。


これからの働き方を考える

「ひとつの仕事に、すべてを求めない」

そんな考え方は、
これからもっと大切になっていくのかもしれません。

「働く」というよりも「在り方」そのものを
真剣に考えていく時代のようにも思います。

  • 生活を支える仕事
  • やりがいを感じられる活動
  • 体や心を整える時間

それぞれを分けて考えることで、
少しずつ、無理のない形が見えてくる気がしています。

まだ答えは出ませんが、このモヤモヤを言葉にしながら、
自分なりのバランスを探していけたらと思っています。


おわりに

答えは、すぐには出ないのかもしれないし、
正解もあるかどうか、わかりません。

そして、
働き方も、収入も、生き方も、
一度決めたら一生そのまま、という時代でもなくなりました。

だからこそ、
模索したり、考え直したりしながら、
その時々の自分に合う形を探していく。

生活や将来の不安が簡単に消えない中で、
それでも自分なりの折り合いを探し続けるしかないのだと思います。

それくらいの気持ちで、
今日思える直感を大切に、
自分の違和感をごまかさないでいることが
何かのヒントになるような気がします。

『マンサク』
花言葉は、「直感」「ひらめき」「不思議な魅力」

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