はじめに
文句や否定的な言葉。
感情的で、子どもっぽい態度。
一緒にいるだけで、どっと疲れてしまう人の言葉。
どうやって「いなす」のか。
どうやって「受け流す」のか。
最近、そんなことを考えていました。
患者さんやご家族から、心無い言葉を投げつけられるのは、看護師なら幾度となく経験があると思います。理不尽だと思っても、仕事としてそこに立ち続けるしかない場面も、何度もありますよね。
今振り返れば、あのときは「受け流せていた」のかもしれないけれど、
受け流せていたように“見えていただけ”で、
実際、心はちゃんと傷ついていました。
そして、その傷が癒えるまでには、思っていた以上に時間がかかったように思います。
受け流しても、心は傷つく
否定的な言葉を向けられたとき、
「気にしないようにしよう」
「受け流そう」
そう思っても、心が無傷でいられるのは至難の業です。
受け流せた=平気だった
強くなった
大人の対応ができた
本当に、そうなのでしょうか。
看護師として、たくさんの傷を見てきた今ならよく分かります。
目に見えない心の傷は、目に見える褥瘡(じょくそう)にとてもよく似ています。
褥瘡とは(日本褥瘡学会):
寝たきりなどによって、体重で圧迫されている場所の血流が悪くなったり滞ることで、皮膚の一部が赤い色味をおびたり、ただれたり、傷ができてしまうことです。一般的に「床ずれ」ともいわれています。
褥瘡は、静かに、深くできていく
褥瘡は、
・栄養状態が悪いとき
・同じ場所に圧がかかり続けたとき
に、できやすくなります。
最初は赤みだけでも、
気づかないうちに皮膚の下で壊死が進み、
ぽっかりとポケットができ、
骨が露出するほど深くなることもあります。
そして傷は、深ければ深いほど、痛みを感じにくいのです。
医療職以外の方が見たら、
「こんな傷、受け入れられない」
と思うほど、現実的で、グロテスクな傷です。
でも、心も同じように傷ができてしまうのではないでしょうか。
- 余裕がないとき
- 認められないとき
- 休めていないとき
- 誰にも弱音を吐けないとき
- 気分が落ち込んでいるとき
そんな「心の栄養状態が悪い」タイミングで、
否定的な言葉という圧を、繰り返し受ける。
表面上は笑っていても、
心の奥では、静かに深い傷が進行していることがあります。
傷が深くなれば痛みも感じにくい。
もし心の中が目に見えたら、
それはきっと、褥瘡と同じくらい生々しい傷なのだと思います。
心の傷と褥瘡の共通点
褥瘡には、傷の状態を評価するための視点があります。
(褥瘡評価ツール 改定DESIGN-R®2020)
深さ、炎症、感染、壊死、滲出液。
表面だけでなく、「中で何が起きているか」を見ることが、とても大切です。
心の傷も同じように考えると、
最初は、
少し引っかかる言葉。
なんとなく残る違和感。
赤みのような、うっすらとした痛み。
「気にするほどじゃない」
「これくらいなら大丈夫」
そう思っているうちに、圧はかかり続けます。
否定的な言葉、文句、感情のぶつけ先にされること。
それが繰り返されると、心の表面は保たれたまま、
内側で静かに傷が深くなっていきます。
気づいたときには、
ぽっかりと空いた感覚。
触れられると痛む場所。
言葉にできない疲弊。
まるで、皮膚の下にポケットができた褥瘡のように思えます。
そして、治る過程も似ています。
圧を除くこと。
同じ場所に、同じ負荷をかけ続けないこと。
栄養を整えること。
清潔で心地よい環境にすること。
無理に触らず、時間をかけること。
一気に治そうとせず、状況に合わせた薬剤やドレッシング材を使います。
見た目だけを良くしようとせず、一進一退。中から、少しずつ回復していくのを待ちます。
心の傷もまた、
環境が整い、圧が抜けていけば、
時間をかけて、ゆっくりと変化していきます。
完全に元通りにならないこともありますし、傷あとが残ることも多いです。
けれどそこに、これ以上の圧がかからなくなり、手当てが必要なくなったら、
それは「治ってきている」というサインです。

「いなす」「受け流す」は、どういうことか
「いなす」「受け流す」という言葉は、
冷たさや、無関心と混同してしまいがちです。
でも、実は大切な自分を守るための行為でもあります。
看護の現場でそれは、生き延びるための感覚でもあったように思います。
「いなす」ということ
いなすとは、
相手の言葉を正面から受け止めないこと。
真正面に立てば、そのままぶつかって、
こちらが壊れてしまいます。
だから、少し立ち位置をずらす。
言葉の内容よりも、「この人はいま、どんな状態なのか」を見ます。
怒り。
不安。
恐怖。
コントロールできない現実。
それらを丸ごと受け取らず、
一段引いたところから眺める。
それが、「いなす」という感覚です。
「受け流す」ということ
「受け流す」とは、
なかったことにすることでも、
我慢することでもありません。
その人の言葉を、
自分の中に留め続けないという選択です。
心の中で、線を引く。
「その人の言葉は、その人のもの」
「これは、私の問題ではない」
そうすることで、
言葉は刃物ではなく、
ただの音として、横を通り過ぎてくれます。
いなす・受け流すことは、セルフケア
いなしたり、受け流すことは、
セルフケアや護身術に近いものだと思います。
褥瘡のケアは、地味で時間のかかることを淡々と続けなければなりません。
それは、心も同じだと思います。
正面から受け止めず、距離をとる。
自分を満たす。
深い傷には、無理に触れない。
自分にとって辛い言葉が、
透明なシャボン玉の中に入っているのをイメージしてみてください。
それが目の前にやってきても、いずれどこかへ飛んでいく。
自ら弾けて消えていきます。
時に私は、
苦手な人を、大きな透明なバルーンに入っているのをイメージすることがあります。
職場や家族など、どうしても一緒に過ごさなければならない時に使います。
ふわふわ飛んだり跳ねたり。どこに飛んで行くか、どんなスピードで来るか、本人も分かっていません。
けれど、丸くて弾力性のあるバルーンなので、ぶつかっても痛くありません。
そんな事をイメージをするだけで、目の前の嫌なことが少し遠くへ行ってくれます。
傷ついたままでも、間違いではない
「もっと上手にいなせたらよかった」
「受け流せなかった自分が悪い」
そう思ってしまうこともあると思います。
実際、私自身そう思って落ち込んだり、
更に自分で自分を追い込むこともあります。
でも、傷ついたという事実は、
弱かったからではありません。
それだけ、ちゃんと真摯に向き合って、感じとることができていたということです。
そして、圧を受け続ける場所に、確かに心を置いていたということ。
褥瘡が、すぐには治らないように、
心の傷も、時間がかかって当たり前です。
むしろ、たとえ治っている過程でも、目にはそれが見えない。
実際に見て確かめられないことで、
自分を責め続けてしまうという難しさが加わっているので当然ですよね。
おわりに
「いなす」・「受け流す」とは、
何も感じなくなることではありません。
最近ある動画で、面白い受け流し方を見つけました。
否定的な言葉や、どうでもいい文句を向けられたとき、
ひたすら「ウケる~」と返すというものです。
最初は少しふざけているように感じました。
でも、変に文句や愚痴に付き合わなくてもいいし、明るく返せる言葉。
これはとても現実的に使える言葉なように思いました。
もし「ウケる」がピンとこなければ、
「笑える」でもいいかもしれません。
相手をあおってしまいそうなら、
ただ心の中で「ウケる」と唱えるのもいいと思います。
正面から受け取らない。
意味づけをしない。
これ以上、同じ場所に圧をかけない。
「ウケる」「笑える」は、
心を軽くするための冗談でもあり、これ以上深く傷を作らないための、
体位変換のようなものなのだと思います。
圧切替えのスイッチになる言葉。
一方で、少し余裕があるときには、
私はブッタの慈悲の言葉を思い出します。
その人の言葉を、川の流れのように受け流しなさい。
その人もまた、あなたと同じように、幸せを求める存在なのです。
だから、思いやりの心を失わないでいなさい。
この言葉は、
「いなす」・「受け流す」という行為が、冷たさではなく、
距離を保ったまま相手を見ることなのだと教えてくれます。
とはいえ、
いつも思いやりを持てるわけではありません。
そんな日もあります。
だから私は、
余裕がない日は「ウケる」「笑える」でいいことにしています。
それすらできない日は、ただ距離を取ればいい。
「その人の言葉は、その人のもの」
それは、自分を守るための線引きであり、
同時に、相手の人生まで背負わないという選択でもあります。
心の傷は、見えないけれど、確かに存在します。
圧を逃がせば、これ以上深くはなりません。
環境が整えば、ゆっくりと回復していきます。
今日は「ウケる」「笑える」で流せた。
それだけで、十分なセルフケアです。

ブログ内関連記事
誰かの言葉に敏感になってしまうとき――私が試しているセルフケア


コメント