はじめに
若い頃の自分を思い出すことがあります。
体が軽くて、服を選ぶのも楽しくて、
世界との距離が今よりずっと近かった気がします。
あの頃に戻りたい、というよりも、
あの頃の「感覚」への執着なのだと、最近やっと気づきました。
軽くて、選べて、好きに振る舞えた自分。
制限が少なく、世界と自然につながっていた感覚。
それは年齢や体型だけの話ではなく、
「自分をどう信じて生きてきたか」という感覚そのものだったのかもしれません。
思い込みと執着は、悪者なのか
「思い込み」
「執着」
こうした言葉は、どこか重たく、
早く手放した方がいいもののように扱われがちだと思います。
けれど、思い込みも執着も、
長い時間を生き抜くために身につけてきたものでもあったと思います。
・こう考えた方が楽だった
・こう信じた方が折り合いがついた
・こうでなければ、やってこられなかった
かつての自分を守るための知恵だった。
なので、無理に剥がす必要はないし、
必ずしも、「なくさなければ前に進めない」わけではないのではないでしょうか。
ミッドライフクライシスという時間
40代〜50代は、
人生の中でもっともストレスがかかる時期だと言われています。
けれどそれは、
決して特別な弱さではなく、
多くの人が通る自然な揺らぎの時間なのだと思います。
仕事、体の変化、将来への不安。
親の老いが視界に入り始め、子育てに奔走している。
自分の残り時間を意識せざるを得なくなる。
それは「若さを失う危機」というよりも、
世界との距離感が変わることへの戸惑いのようにも思えます。
今まで信じてきた価値観が、
そのままでは合わなくなってくる。
だからこそ、
この時期に人生を見直し、
起業したり、働き方を変えたりする人が多いのかもしれません。

恵まれているのに悩むのは、おかしい?
私には、子どもは居ません。
両親は、今のところ自立して生活できています。
なので現状、介護や子育ての大きな負担はありません。
そう考えると、
「私は恵まれているのに、なぜこんなことを考えているのだろう」
そんな風に思うこともあります。
けれど、
悩みは比較するものでありません。
誰かの苦労が大きいからといって、
自分の違和感や葛藤を”無かったことにしなくていい”と思うのです。
もしかしたら、悩んでいるというより、
考えることが好きなだけなのかもしれない。
けど、
そのくらいでもいい気がしています。
なぜなら、違和感に立ち止まれることで、
生きやすくなれる=自分に優しくできるのだと思います。
インナーチャイルドと向き合うような作業
この時期に、自分が何を信じて生きてきたのかを振り返ることは、
どこかインナーチャイルドと向き合う作業にも似ています。
・なぜそれを大事だと思っていたのか
・どんな怖さがあったのか
・本当は何を求めていたのか
答えは出なくても、
整理しきれなくてもいい。
自分がどんな環境で、どんな事をするのが合っているのか、
反対に、何をして、どんなことが自分にとって辛いことなのか。
その時やその場所で、何が合うかどうかも変わってくると思います。
思い込みも執着も、あっていい
完璧に手放さなくても、
理解しきれなくてもいいかなと、淡く感じています。
思い込みや執着は、
ある日突然消えるものではなく、
別の感覚に少しずつ上書きされていくもののようにも思います。
今の自分に合わなくなったら、
自然と薄まっていくような。
それで十分かもしれません。
日々の生活や思いには、グラデーションがあります。
おわりに
もし今、
理由のはっきりしない違和感や、
言葉にならない焦りを感じているなら、
それは「何かが足りない」のではなく、
何かを見直す時期に来ているサインなのかもしれないと思っています。
ミッドライフは、
終わりの始まりではなくて、
自分の感覚を取り戻すタイミング。
これからどうやって生きていくのかを静かに考える時間。
これまで頑張ってきた自分を認める時間。
そんな風に捉えられたら、
これまでの「思い込み」も「執着」も、
なんだか愛おしく感じられます。
そして、
これまでの知恵をカスタマイズして、
これからの自分に合うものに変える。
それを身に着けていけばいいと思ったら、
少し身軽になれたような気がします。


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