1. 言葉の余韻が残るとき
何気ない一言が、なぜか頭から離れない。
時間が経っても、あの言葉だけが心に残る。
「忘れたい」と思うほど、
何度も思い出してしまう。
強い言葉や、大きな声を聞くと、
心がキュッと縮こまるような感覚になる。
「怒られたわけじゃないのに、
どうしてこんなに苦しくなるんだろう?」
と、自分を責めてしまうこともある。
身近な人の言葉に、
どうしてこんなにも
心が反応してしまうんだろう。
頭の中でぐるぐると巡り、
何をしていても忘れられない。
そんなとき、
自分の心の奥では何が起きているのか。
最近、その理由が少し見えてきた気がします。
2. 否定の言葉が響く理由

過去に何度も「否定される」体験を
重ねていると、新しい言葉も、
昔の痛みを呼び覚ますことがあります。
「もう大丈夫」と思っていたのに、
心や体は驚くほどちゃんと覚えていたりします。
だから、「気にしすぎ」ではなく、
“それだけ真剣に受け止めて生きてきた”という証なんですよね。
昔から身近な人の中に、
強く主張するタイプの人が多くて、
「気合いが足りない」「我慢しなさい」
「繊細すぎる」「考えすぎ」「気にしすぎ」
――そんな言葉をよく聞いてきました。
少し落ち着いてから、
ふと気がついたのです。
この痛みは、今目の前で起こった
その人とのやりとりだけじゃなく、
もっと昔からある感覚かもしれない、と。
幼い頃から感じていた人間関係の中で、
「認められない」「頑張っても足りない」
という思い。
その古い記憶と、
ついさっきの出来事が
重なっていたのかもしれません。
そう思うと、
少しだけ心がほどけました。
目の前につきつけられた言葉が
すべてではないかもしれない。
私の中に長い間あった
“自分を疑う癖”が
反応していただけなのかもしれません。
3. 言葉を通して見えた、自分の中の傷
目の前で投げかけられる言葉は、
時に鋭く響きます。
たとえば、
「体調が管理できないのはあなたのせい」
「やってもお金にならないことをして」
といったような言葉です。
でも、実は
こうした言葉だけが問題なのではありません。
心の奥では、幼い頃に抱いた「認められたい」
「頑張っても十分じゃないかもしれない」
という不安が、同時に反応していることがあります。
その瞬間、
目の前の言葉と過去の感覚が重なり合い、
強く心を揺さぶられるのです。
「また否定された」
「頑張っても認めてもらえない」
――そんな幼い頃の感覚が、
ふっと蘇ったように感じられることもあります。
たぶん、私はそのたびに
「私は弱いのかな」「私が悪いのかな」
と思い込んできたのかもしれない。
でも本当は、
弱くなかったんじゃないかと思えました。
感じ方や受け取り方が少し繊細だっただけ。
感じ方や受け取り方が、相手とは少し違うだけ。
それは“欠点”ではなく、
“個性”なんだと思います。

4. 書くことで、心がほどけていく
不思議なことに、涙が出たあと、
少し楽になることがあります。
書くことで、
心の中の言葉を“外に出す”こともできます。
否定されたままの思いを、
「そう感じてもよかった」と
自分で受け止めてあげるのも大切なのかなと。
現代は情報量がとても多い時代。
弥生時代や江戸時代の人々が
生涯かけて得た情報量を、私たちは
1日で超えてしまうこともあるそうです。
思ったままを書き出して、
静かな癒しの時間を意識的に設けることは、
インプットとアウトプットのバランスも
整えられて、少し心がほどけるような、
整うような感覚を得られます。
大人になればなるほど、
自分の思いや状況を
簡単に人に話さなくなりました。
友人や家族の都合を考えすぎたり、
こんなに重い話なんて聞きたくないだろうな、
とか。
そうやって、少しずつインアウトの
バランスを崩していたように思います。
仕事でも役職がついたり、
ハラスメント回避を意識した
上辺も上辺の会話をして。
笑顔でいれば何とかなるんじゃないかと、
こっそりマスクの中で笑顔をあえて作ったり。
自分の気持ちにふたをしたり、
気づかないふりを重ねて、
気が付けば自分が何者で
何をしていきたいのかも見失っていく感覚。
つい、体が軽くて勢いがあった若い頃を
思い浮かべたりもするけれど、
若い頃とは違った方法を
焦らずに見つければいいとも思います。
chatGPTにも何度も相談していると、
自分のインナーチャイルドを
見つける機会にもなったりします。
私は、この自分の感情を外に書き出すことで、
だいぶ変わったと思えています。
5. おわりに:自分の心の奥の「自分」
すぐに元気にならなくてもいい。
何かを頑張って証明しなくてもいい。
ただ、自分の中で“確かに感じていること”を、
少しずつ言葉にしていけばいいと思えるようになりました。
自分の感じ方を言葉にしていくことで、
少しずつ心の奥にある「自分」を取り戻すような感覚。
書くことは、
誰かにわかってもらうためというよりも、
まずは自分を理解していくための時間なんだと思います。
今日感じたことを、紙やメモに書いてみる。
たったそれだけでも、
心の奥の自分に気づく一歩になります。



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