多様性の時代に、ひとりの「女性」として迷うこと

健康
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はじめに――女性という形

多様性が尊重されるようになった今、
「性別に縛られすぎる必要はない」と言われる時代になりました。

そんな中で、女性として生きるという事実と、多様性と言われる時代のギャップを感じることがあります。 女性や男性。身体能力的な性差については、看護師の仕事を通して痛感していました。けれど、やはり同じ人間だなと思う面が多かったのもしかり。

なかなか、きっちりラインを引くのは難しいですよね。文化、昔からの価値観、社会のメッセージ。それに、自分の中にある「女性としてのアイデンティティ」。
必ずしも全部が同じ方向へ一致することはないのだと思います。

シンプルだけど、複合的。

だからこそ、
「女性であること」
「女性として生きてきた自分」
「時代が求める多様性」
その間でギャップを感じる瞬間があるのだと思います。


性別は“ただの属性”?

今は「性別は属性のひとつでしかない」とよく言われます。
その考え方はすごく大切だし、救われる人も多いと思います。

でも、性別をただの“属性”と割り切るのは、少しシンプルすぎるとも思うのです。

女性として生きてきた年月が確実にあって、女性としての経験が積み重なっていて、女性として抱いてきた夢があります。

そう簡単に、
「性別はただの区分だから気にしないで」とは整理できないものです。

私はむしろ、性別は“ただの属性”と言われる時代になったからこそ、
逆に自分の根っこにあった想いや感覚が浮き上がってきたように思います。

これまで気にしないで生きてこられた幸運な状況や、これまで気にしすぎないで生きてきた自分の世界があったからかもしれません。


女性としての夢があった — その事実は、消えない

女性だからこそ持っていた夢だったのか、
人としての夢だったのか、その境界線はたぶん誰にも引けないものかもしれません。
そして、その夢が心の中に確かに“あった”という事実は、とても尊いことです。

私は病気を経験し、出産という選択が閉じたとき、自分の“女性としての在り方”を改めて考えました。

まだ40歳になる前のことだったので、どこか他人事のようでした。
その頃は仕事も忙しく、考え込む隙間がなかったり、目を背けるためにそっと蓋をしていたのかもしれません。

病気と闘ってしんどくなり、出産ができなくなった。
そのうえ、ホルモンバランスの台風。

一体わたしは何者なんだろうかと思いながら、巻き戻せるわけのない過去を思ったりもしました。たくさん泣いて、暴飲暴食し、感情もめまぐるしく変わりました。
けれど、結局事実を受け止めるしかない。受け止めようと思いました。

そう思えたのは、自分の人生を見つめ直した証拠かもしれません。

”女性としての人生”や”社会人としての人生”を意識しすぎていた。一人の”人としての人生”にあまりフォーカスを当てて生きてこなかった自分にも気が付くことができました。


ホルモンの変化とともに、女性としての感覚も変わっていく

40代になると、自然な変化として、女性ホルモンがゆっくりと波を描きながら変化していきます。そうすると、若い頃に感じていた“女性としてのギラギラ感”や、いわゆる「女性らしさを意識する気持ち」が弱まることがあります。

それは、時に”失われた”感覚になるかもしれません。
しかし、次のステージへ移行しているだけで、「女性としての自分 → 人としての自分」への切り替えが、静かにはじまっている時期なのだと思います。

だからこそ、
「私は今どこに立っているんだろう?」
「女性としての私はどう変わっていくんだろう?」
そんな問いが自然と湧いてくる。

更年期の時期に限らず、人はいくつものターニングポイントがあると思います。そして、そのタイミングで、自分自身がどう考えて、どう動いているか。世の中の流れ、流行りにも影響を受けます。


多様性の時代に、自分の中の“女性としての感覚”を知ること

多様性は、
「どの生き方でもいい」という選択肢を広げてくれた時代でもあります。

でも同時に、
「女性として生きてきた自分の気持ち」
「女性だからこそ持っていた夢」
「女性としての喪失感や揺らぎ」
これらも大切に扱われるものであって欲しいと思っています。

女性としての感覚を抱える自分を否定する必要はなく、
自由に語れるのが多様性と言われる時代の良さかもしれません。

人は都合よく、環境や身のまわりのせいにすることも往々にしてあると思います。
時代の流れに身を任せてみたり、時にはあらがうという行動や感情の動きそのものが、自分のアイデンティティの気づきや、心地よい生き方に繋がるのだと思います。

多様性という言葉が広がって、「どう生きるか」を選ぶ自由は確かに広がりました。
でも同時に、これまで当たり前に沿ってきた“カテゴリーの安心感”がなくなるような揺らぎも感じます。そのどちらも抱えながら、自分の主導権を少しずつ取り戻していく――
それが今の私の生き方なのかもしれません。


おわりに

女性として生きてきた年月も、
多様性の時代に生きている今も、
どちらも紛れもなく自分の人生。

一致しない部分があって当たり前で、
その「ゆらぎ」の中にこそ、
人としての自分が宿っているのだと思います。

世の中の流れを知ることは、人とのつながりやビジネス、人生を楽しくするために、とても大切なことだと思います。そこで得た知識は、勇気や行動化に繋がることもあります。色々な自分の中が見えてくるヒントにもなります。

多様性は、自由度も高く感じますが、これまでの自分とのギャップを感じることにもなるかもしれません。新しい自分を見つけられる思うと、いつの間にかネガティブなギャップ・違和感だけではなく、わくわくして楽しいものだと思えるようになりそうです。


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