比較の先にある「否定しない」という在り方

ことば
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はじめに

「人と比べることは良くない」
「人と比べるのは時間のムダ」

そんな言葉を、何度も聞いてきました。

SNSを見て、気分が落ち込んだとき。
誰かの成功を前にして、自分が小さく感じたとき。
つい誰かと自分を比べてしまった自分に、さらにがっかりするとき。

比較することは、悪いことなのかもしれないと
思い込んでいたり、言い聞かせていたように思います。

でも、
生きていく上で、まわりには人がいて、
比較してしまう場面はたくさんあります。

比較することは、本当に良くないことなのでしょうか。
どこか、悪いことだけではないと感じています。
今回は、そんな「人と比較する」ことで
見えてくることを深掘りしたいと思います。


比較の奥にあるもの

人と比べてしまうとき、
そこにはたいてい「いいな」という気持ちがあります。

羨ましさ。
悔しさ。
焦り。

でも、その感情の奥には、
「私も、ああなりたい」
という小さな願いや希望も隠れているのではないでしょうか。

それは、もしかしたら
“向上心の種”なのかもしれません。

けれど、比較の奥には、
そういう純粋な気持ちだけではなく、
他の感情もありますよね。

劣等感。
自己嫌悪。
「どうしてあの人ばかり」という妬み。

「認められたいのに認められていない」という寂しさ。
置いていかれるような不安。

できれば感じたくない感情です。

だから私たちは、
「比較なんてしないほうがいい」と言って
その感情ごと、蓋をしてしまうのかもしれないですね。


それでも、感情には意味がある

けれど、どんな感情も
理由があって生まれてくる。

妬みは、「本当は欲しい」というサイン。
劣等感は、「自分には価値がないのでは」という怖さ。
焦りは、「取り残されたくない」という必死さ。

どれも、弱さのようでいて、
実はとても人間らしいとも思います。

比較の奥には、
向上心だけでなく、
傷つきやすく、あやうい感情もいる。


比較が苦しくなるとき

もちろん、比較がつらくなることもあります。

「どうせ自分なんて」
「やっぱり無理だ」

そんなふうに、自分を否定する方向に向かってしまうとき。

比較が苦しいのは、
比べたことそのものよりも、

“比べたあとに自分を責めてしまうこと”
なのかもしれません。


否定しないという選択

大切なのは、

向上心だけを拾い上げて、
マイナスの感情を切り捨てないこと。

「こんな感情を持つ自分はダメ」と
さらに自分を責めないことだと思います。

比較して、羨ましくなって、
妬んで、落ち込んで。

どんな種類の感情が生まれてきても、
そのこと自体が悪いことではなく、
自然な現象として、ただ感情が生まれてくるだけ。

もし比較してしまったら、

「あ、わたし今、羨ましいんだな」
「こうなりたいって思ってるんだな」

そうやって、俯瞰して気持ちを見つめてみる。

そう感じた自分自身を否定せず、
無理にポジティブに変えない。

ただ、
責めないでいることが大切なのでは、と
考えるようになりました。

すると不思議と、
比較は“自分を傷つけるもの”から
“自分を知るヒント”に変わっていきます。


おわりに

誰かを見て心が動いたなら、
それはきっと、わたしの中にも同じ可能性があるということ。

純粋な、憧れと
ドロッとした、妬み。

共存するのは自然なことで、
比較は決して敵ではない。

けれど、比較の奥=核にせまることは
結構エネルギーが必要ですよね。
触れるのには、勇気がいる作業でもある。

けれど、奥までたどり着いた先に、
「もっとこうなりたい」という
向上心も必ずあると思います。

だから今日も、
比べてしまった自分を否定せず、
感情をみてみる。

奥にある願いを、
そっと大切にしていきたいと思います。

あなたが最近、誰かと比べてしまったとき。
その奥には、どんな感情がありましたか。

それがいつか、
「静かな自信」と「安心」になりますように。


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