はじめに
日本は、
世界の中でも「自殺率が高い国の1つ」と言われることがあります。
ニュースや統計でも、その数字を目にする機会は少なくありません。
最近、ニュースや統計の中で
「死」というものについて考える機会がありました。
そうすると、
関わっていた人の死を思い出すことがあります。
軽々しく語れるテーマではありませんが、
時々立ち止まって考えることも大切なのかもしれません。
この記事では、日本の死因や人口の変化、そして世界との比較から
「自殺率」という数字を少し落ち着いて見つめてみたいと思います。
日本の主な死因
まず、日本では
どのような原因で人が亡くなっているのでしょうか。
厚生労働省の人口動態統計によると、日本の主な死因は次のようになっています。
| 順位 | 死因 |
|---|---|
| 1位 | 悪性新生物(がん) |
| 2位 | 心疾患 |
| 3位 | 老衰 |
| 4位 | 脳血管疾患 |
| 5位 | 肺炎・誤嚥性肺炎 |
| 6位 | 不慮の事故 |
| 7位 | 新型コロナウイルス感染症 |
| 8位 | 腎不全 |
| 9位 | アルツハイマー病 |
このように、死亡原因を全体で見ると、
主なものはがんや心疾患、脳血管疾患などの身体の病気です。
自殺は、全年齢の死亡総数で見ると
主要死因の上位には含まれていません。
しかし、自殺という問題が小さいという意味ではありません。
特に若い世代では、成人や高齢者とは異なる死因の特徴があります。
その一つとして、自殺が死因順位の上位となる年代があります。
つまり、自殺という問題を見るときには、
「日本全体の死亡原因」と「年代ごとの特徴」を分けて考えることが大切です。
日本の人口の変化
日本社会を考えるとき、人口の変化も重要な背景になります。
日本の人口は長い間増え続けてきましたが、
2008年頃をピークに減少へと転じました。
1950年 約8300万人
1990年 約1億2300万人
2008年 約1億2800万人(ピーク)
2024年 約1億2400万人
少子高齢化が進み、社会の構造そのものが大きく変わりつつあります。
こうした社会の変化は、人々の働き方や生活にも影響を与えてきました。

日本の自殺者数の推移
日本では1990年代の終わりに、自殺者数が大きく増えた時期があります。
| 年 | 自殺者数 | 自殺死亡率(人口10万人あたり) | 背景 |
|---|---|---|---|
| 1997年 | 約2万4千人 | 約19 | 1998年以降、大きく増加 |
| 1998年 | 約3万2千人 | 約25 | 年間3万人を超える状態へ |
| 2003年 | 約3万4千人 | 約27 | 自殺者数・自殺死亡率ともに高水準 |
| 2015年 | 約2万4千人 | 約18 | 減少傾向 |
| 2023年 | 約2万2千人 | 約18前後 | ピーク時より減少 |
1998年以降、2011年頃まで年間3万人を超える状態が続きました。
これは決して小さな数字ではありません。
背景には
・景気の悪化
・失業
・社会不安
などが影響していたと言われています。
現在はピーク時より減少していますが、それでも毎年2万人以上の人が自ら命を絶っている状況です。
世界と比べた日本の自殺率
自殺率を国際比較するときには、
「人口10万人あたりの自殺率」という指標が使われます。
主な国の自殺率はおおよそ次のようになっています。
韓国 約25
ロシア 約21
アメリカ 約16
日本 約15
フランス 約13
オーストラリア 約12
ドイツ 約12
中国 約6
中東諸国 約3〜6
日本の自殺率は、世界の中で最も高い水準ではありません。
一方で、G7諸国の中では比較的高い水準にあります。
年代によって違う自殺のリスク
もう一つ知っておきたいのは、
自殺のリスクは 年齢によって大きく違う ということです。
日本では、全年齢で見ると自殺は主要死因の上位には入りません。
しかし、年代別に見ると状況は大きく異なります。
特に若い世代では、自殺が死因順位の上位になる年代があります。
| 年齢階級 | 年齢階級別にみた自殺の位置づけ |
|---|---|
| 10〜14歳 | 自殺が死因上位の一つ |
| 15〜19歳 | 自殺が死因第1位 |
| 20〜24歳 | 自殺が死因第1位 |
| 25〜29歳 | 自殺が死因第1位 |
| 30〜34歳 | 自殺が死因第1位 |
| 35〜39歳 | 自殺が死因上位 |
| 40代以降 | がん、心疾患などの割合が増加 |
特に10代後半から30代前半では、
自殺が死因順位の上位、または第1位となる年代があります。
若い世代では、がんや心疾患など身体の病気による死亡が少ない一方で、
心理的な苦痛や家庭・学校・仕事などの社会的な問題が複雑に関係することがあります。
自殺は特別な人の問題ではない
自殺について語られるとき、
「心が弱い人」
「特別な事情がある人」
そんなイメージで語られることがあります。
けれど実際には、そう単純ではありません。
仕事
人間関係
健康
成育環境
経済的な問題
さまざまな要因が重なり、
誰でも追い込まれてしまう可能性があります。
医療の現場で感じること
医療の仕事をしていると、
人の人生のさまざまな場面に出会います。
病気や老いだけでなく、
仕事、家庭、経済的な問題など、
それぞれの事情を抱えながら生きている人がいます。
そして時には、
関わっていた人が自ら命を絶つという出来事に向き合うこともあります。
それは必ずしも、
「誰かが気づかなかったから」
「誰も助けなかったから」
という単純な話ではないように思います。
その人には、その人の苦しさがあり、
その背景はとても複雑です。

関わっている人の中に、
「この人はもう変わろうとは思っていないのかもしれない」と
感じる瞬間があります。
もちろん、それは私の思い込みなのかもしれません。
けれど、
どこか遠くを見ているような表情や、力が抜けたような空気。
眼の奥の何かを感じることがあります。
「もう十分生きた」と思っているのか、
「もう終わりにしたい」と思っているのか、
本当のところは分かりません。
けれど医療の現場にいると、
人の最期が近いときの雰囲気というものを
医療的なデータとは別のところで感じることがあります。
そして後から振り返ると、
自殺や突然の死を迎えた人についても、
「あの時間が最後だったのだ」と感じる瞬間があります。
それは、私が特別な何かを感じ取ったというより、
その人との関わりの中で積み重なった小さな変化を、後から思い返しているのかもしれません。
相談の現実
よく
「つらいときは誰かに相談しましょう」
と耳にするかと思います。
それは確かに大切なことかもしれません。
けれど、実際には
相談すること自体がとても難しい人もいると思います。
迷惑をかけたくない
うまく言葉にできない
弱いと思われたくない
話しても解決するか分からない
SOSの出し方が分からない
そうした気持ちが重なると、
誰にも言えないまま時間が過ぎてしまうこともあります。
数字の向こうにあるもの
統計を見ると、日本の自殺率は
世界の中で特別に高いわけではありません。
けれど、それでも毎年多くの人が亡くなっています。
その数字の一つひとつの中には、
それぞれの人生の時間があります。
誰かの家族であり、
誰かの友人であり、
誰かの大切な人だったかもしれません。
忘れられない死がある
自殺については、
原因も、解決策も、簡単に言い切れるものではありません。
社会の問題
働き方
経済
孤立
病気や障害
思わぬ事故
さまざまな要素が絡み合っています。
だからこそ、
こうすれば必ず防げるとか、変えられるとか
そういうものではないのです。

私自身、看護師という立場で
力になれなかったのではないかと思う場面を何度も経験してきました。
けれど、それもエゴな考え方なのかと思うこともあります。
その人と関わった意味があったように感じられるからかもしれません。
ただ、その人の死は目の前で起こった事実です。
ふとしたときに思い出しては、深く考えさせられる忘れられない出来事です。
その人は、何を思ってたのか。
何かを変えたかったのか。
笑顔の奥で何を感じていたのか。
医療の現場にいると、
多くの人の死を目の当たりにします。
それでも、
忘れられない死というものがあります。
その出来事は、
今でも時々、私に問いを残します。
おわりに
数字を見ていると、
社会の大きな流れが見えてきます。
けれど同時に、その数字の向こうには
一人ひとりの人生があり、
数字だけでは表せないことがたくさん存在する。
人の生き方は本当にさまざまだと感じます。
そして、
人の感情は、とても複雑です。
残酷なこともあれば、
とても情深いこともある。
「強い」とか「弱い」とか、
「良い」とか「悪い」とか。
「正しい」とか「間違っている」とか、
そう簡単に分けられるものではありません。
自殺という出来事もまた、
そうした人間の複雑さの中にあるものなのだと思います。
その人がどんな思いで生きていたのか、
何に苦しんでいたのか、
外からは分からないことも多いものです。
それでも時々、
ふとその人のことを思い出して考える。
そこに何かが見つかるような気がしています。
私は時々、
ある人のことを思い出すことがあります。
亡くなったとき、
その瞬間に強い感情があったわけではありませんでした。
警察と淡々と話をして、
仕事として必要なことを進めて、
一緒に担当していたスタッフとも普通に言葉を交わしていました。
むしろ、周りの人のほうがショックを受けているように見えて、
そのことに驚いた記憶があります。
けれど時間が経つと、
ふとしたときにいろいろなことを思い出します。
最後に会ったときの表情。
名前を呼ばれたこと。
その人のこれまでの人生。
一緒に関わっていたスタッフや先生のこと。
あのとき「これで最後かもしれない」と
どこかで感じていたことも思い出します。
自殺という出来事は、
外から見て分かるほど単純なものではありません。
統計の数字を見ても、
そこにある一人ひとりの人生までは見えません。
だからこそ時々、
数字の向こう側にあるものを
静かに考える時間があってもいいのかもしれません。



コメント
始めまして。
こちらのブログを読ませていただきました。とても考えさせられる内容でした。
少し自分の話をさせていただきます。私は今22歳ですが、現在の自分への無力さと将来の不安で自殺について考えてしまうことが時々あります。今の時代にはこれと言われるような王道の生き方が希薄化していっていてると思っていて、その中で個人を尊重するという思想が強まり、より自分という存在にスポットライトを当てざるを得なくなってしまいました。そうすると、自分は何者かにならなければいけないとかそんな事を考えてしまうようになる気がするんです。みんなが想像するような期待するような、羨むような何者かになれる自分を想像できなくて苦しいです。よく言われていることですが、存在している事そのものを肯定するような生き方ができるようになればいいんでしょうね。そんな世の中になってほしいなと切実に思います。
日々たくさんの患者さんに向き合って、お力になっているそんな看護師という職業をとても尊敬します。今は希望を持てませんが、いつか目の前の一人でも救えるような人間になりたいなと、この記事を読んで思いました。
コメントありがとうございます。
ご自身のことを丁寧に書いてくださり、とてもありがたく読ませていただきました。
「何者にかにならなければ」と思ってしまう苦しさや、「存在していることそのものを肯定できるような世の中になって
ほしい」という言葉が、とても印象に残りました。
この記事が、ご自身のことを考えるきっかけのひとつになったのであれば、書いて良かったと思います。
これから先、少しずつでも「自分は自分でいい」と思える時間が増えていくことを願っています。